4月30日東京文化会館。下野竜也指揮、東京都交響楽団の第1020回定期演奏会。
すばらしかった。演奏も、企画も。
曲は
- トリスタン・ミュライユ:《ゴンドワナ》(1980)
- 夏田昌和:オーケストラのための《重力波》(2004)
- 黛 敏郎:《涅槃交響曲》(1958)
《涅槃》の男声合唱は東京混声合唱団。
夏田と黛にはバンダが加わるのだが、スペースの都合で1階中央通路の左右に配置された。座席が1回前方で舞台に近すぎるかと思っていたのだが、バンダより前で空間的な立体感が体験できたのはむしろ幸いだった。
いつ頃からか「スペクトル楽派」という名前を耳にするようになって以来、「それって黛敏郎がもっと前に《涅槃》のカンパノロジーでやってたことじゃないのか?」という疑問をずっと抱き続けてきた。実際の曲を耳にしてもさほど魅力を感じず、そのくせ「フランス現代音楽の最先端」みたいにもてはやされるているのが不思議だった。みんな黛のカンパノロジーを知らないのか、それとも私が無知なだけで黛がやったこととスペクトル楽派がやってることの間には大きな違いがあるのか。
スペクトル楽派を自分で勉強してみようという気にもならず、ただ疑問だけを持ち続けていた時、勤務先の教員持ち回りのゼミで、ある先生がスペクトル楽派の作曲技法について発表された。私はかねてからの疑問を訊いてみた。発表された先生は(私よりずっとお若いので)どうやら黛のカンパノロジーについてご存じなさそうな様子だったが、別の先生(私と同世代)が「いや、あれは……」と反論された。学生たちも発表の先生も置き去りにしてやり取りが続いたものの全く議論が嚙み合わず、だんだんヒートアップして、結局まとまらないまま終わってしまった。何が食い違ったのか分からず、もやもやしたまま帰宅して、はたと気づいた。「カンパノロジー」という言葉で指している作品が、違っていたのだ。
黛敏郎は1955年ころからNHKの電子音楽スタジオで本邦初の電子音楽の制作に取り組む。その過程で梵鐘のスペクトル分析結果を知り、それをオーケストラに反映させて1958年の《涅槃交響曲》に取り入れた。全6楽章のうち1、3、5楽章にカンパノロジーI、II、IIIとして置かれている。私が話していたのはこの「カンパノロジー」だ。
だが、黛はこの時の研究をもとに電子音楽作品を作り、1959年に《ミュージック・コンクレートによるカンパノロジー》として発表した。もう一人の先生はこちらについて話しておられたのだ(と思う)。一方はオーケストラ曲、一方は電子(テープ)音楽。私としては分析の結果スペクトルとして得られた成分の音をオケの楽器に配分して鳴らす、という操作(この点で黛とスペクトル楽派は共通しているはず)について話していたのだが、それをオケの関与しない電子音楽の話として議論したのでは、噛み合うわけがない。お互いに説明と理解が足りなかったのだろう。生半可な知識で議論などするもんじゃないですね。
結局その時には私の疑問は晴れぬままくすぶっていたのだが、都響の今回の演奏会で、ちょっとすっきりした。1958年に黛がやったことと20年以上あとのスペクトル楽派がやったことは繋がっていた。いや正確には繋がっていなくて、(たぶん)黛がずっと前にやっていた仕事を知らずにミュライユやグリゼーが似たようなことをして、黛を知らない人たちにもてはやされた、ということだ。もちろん結果として生まれた黛の音楽はあくまで1950年代の音であり、ミュライユは1980年の音だ。同じようなことをやっても、背景となる科学技術の状況や音楽史的なコンテクストが異なれば結果は違ってくる。わくわく感という点では夏田作品が一番興味深かったのも、今の耳で聴いているのだから当然なのだろう。
黛が時代の先を行ったわけではない。ミュライユが遅れていたわけでもない。黛とミュライユの繋がらない繋がりについてちゃんと分かっているいる人がいて、それをまとめて聴ける機会を与えてくれた。それが嬉しい。
鐘でも何でも、ある音のスペクトルを調べてその通りに純音を配分して合成すれば、もとの音が再現できる。これがシンセサイザーの原理である。だが正弦波を無限に組み合わせるならともかく、成分音に当たる高さの音をオケの楽器に鳴らさせたって、結果はもとの響きにはならない。それぞれの楽器にはそれぞれの倍音成分があり、それら全体の総和はもとの響きとは全く違う。そんなことは当たり前だから、カンパノロジーやスペクトル楽派の目的は、もとの響きの再現ではないはずだ。それをやってみることで、自分の想像力の域を超えた新しい響きに出会う可能性がある。それを期待したのだろう。やってみること自体が面白かったのかもしれない。
3作品とも、それぞれに充実した聴体験が楽しめた。スペクトル云々はともかく、よくできている。《涅槃交響曲》の歴史的重要性も、確認することができた。
追記:フランス語版Wikipediaの’Musique spectrale’の項では、2014年以来、スペクトラル音楽の先駆として最初に黛の《カンパノロジー》と《涅槃交響曲》が挙げられていることを知った。ちなみに日本を含め(!)フランス以外のWikipediaには黛への言及はない。