二〇世紀の交響曲に対する関心が高まっているようだ。ショスタコーヴィチあたりを筆頭に、 ニールセンやヴォーン=ウィリアムズなど、かつてないほど録音が増えているし、 ブライアンの《ゴシック交響曲》のような、以前にはまずありえなかった曲目まで日本のカタログに登場するようになっている。 理由は幾つか考えられるが、しばしば見られる「ポスト・マーラー」といった表現が示しているように、 半ばファッションと化したマーラーの交響曲を聴き尽くした「軽やかな聴衆」が次なるターゲットを探し始めた、 あるいはそのマーラー・ブームで味をしめた音楽産業が二匹目のドジョウを探し始めた、という側面は確かに大きいだろう。 だが恐らくもっと根源的な理由は、音楽史の捉え方の変化にあるように思われる。 一九七〇年代前半あたりまでの「現代音楽」に支配的だった単線的な進歩史観、 単純に言えば「新しいものにだけ意味がある」という発想は、交響曲に関しては 「ベートーヴェン以来の伝統はマーラーで終り、ウェーベルンによってジャンルが解体した」という結論を下していた。 その後も「交響曲」を書いているような作曲家は「遅れた」「保守的な」作曲家であり、 従って「歴史的に意味がない」と見なされたのである。 しかし今や音楽史は、もっと柔軟に、複眼的に捉えられるようになり、 時期的にもようやく二〇世紀の音楽状況を一九世紀とのつながりの中で新たに捉え直すことができるようになってきた。 そうして、一方では作曲家達が再び新しい「交響曲」を書き始め、他方ではかつて正当な評価が与えられにくかった 二〇世紀の交響曲作家達にも新たな光りが当てられるようになったのだ、と考えられるのである。
そうした状況の中で、本誌先月号の月評でも紹介されていたようにブライデン・トムソン指揮による ヴォーン=ウィリアムズの交響曲全集が完結した。 サー・エードリアン・ボールトおよびアンドレ・プレヴィンに次ぐ、三人目の偉業である。 ボールトのもプレヴィンのも、どちらも名演奏の誉れ高く、CD化も行われている。 だがそれらの録音は、今から約二〇年前、一九六〇年代末から七〇年代初頭の時期に、両者並行するような形で行われたものであり、その後の録音技術の発展や変化が著しかったこともあって、新しい全曲録音の登場が待たれていた。八〇年代半ばからプレヴィンやハイティンクがその期待を満たしてくれそうな動きがあったのだが、それらが二・三曲で止まったままなかなか進展の動きを見せないうちに、一足遅れて八七年から始まったトムソンの録音が一気に追い抜き、ディジタル録音による初の交響曲全集を完成してくれたのである。トムソンにとっては、エルガー、バックスに続く3番目の交響曲全曲録音であった。
今のところ録音のレパートリーがイギリス近代音楽に限られているため 、まだその名前が広く一般に知られているとは言い難いが、ブライデン・トムソンという指揮者の実力には並ならぬものがあると思う。きめ細かく配慮のいきとどいた、巧みなオーケストラ・コントロール。品が良く、それでいてスケールの大きさを感じさせる、高い音楽性。響きにいつも一種の華というか、輝きが感じられるのも、この人の音楽の特徴だ。現在世界に名指揮者と呼ばれる人のひしめきあう中でも、この人は掛値なしに有数の実力の持主と言えるのではないか。1928年生まれの、63才。プレヴィンやハイティンクと丁度同世代である。現在はスコティッシュ・ナショナル管弦楽団の首席指揮者ということだが、これまでの知名度の低さが全く不可解な、しかし今後はますます名声を高めていくであろう、この優れた指揮者のおかげで、新しいヴォーン=ウィリアムズの交響曲全集は極めて充実したものとなっている。
ヴォーン=ウィリアムズの作品で広く親しまれているのは、恐らく《グリーン・スリーヴスによる幻想曲》や《タリスの主題による幻想曲》あるいは《あげひばり》といった管弦楽曲であろう。それらの穏やかでふところの深い響きは私達を暖かく包み、教会旋法や民謡風の五音音階による旋律は懐かしい郷愁のようなものを感じさせて、しばし幸福な気分に浸らせてくれる。他の作曲家では味わえない、ヴォーン=ウィリアムズならではの魅力である。交響曲の中にも、もちろん、そうした魅力をたっぷりと備えた曲がある。《ロンドン交響曲》(第二番)、《田園交響曲》(第三番)、それに第五番。だが一方、ヴォーン=ウィリアムズという作曲家には、それとは一見全く対照的な性格も備わっているのだ。半音階的進行や不協和音を多用し、強烈なダイナミズムと色彩を駆使した、パワフルでエネルギッシュな音楽。交響曲第四番が代表する、そうした音楽もまた、ヴォーン=ウィリアムズのものなのである。新しい交響曲全集の登場を期に、彼の交響曲創作の全体像を捉えてみるのも悪くはないだろう。
レイフ・ヴォーン=ウィリアムズは一八七二年生まれ。同じ世代の作曲家には、スクリャービンやツェムリンスキー、ラフマニノフやレーガーなどがいる。ロイヤル音楽カレッジ(RCM)とケンブリッジ大学トリニティー・カレッジでパリー、スタンフォードといった当時の英国の実力者達から作曲を学んだ後、ベルリンに渡ってブルッフに師事。後にはパリでラヴェルからも教えを受けている。とはいえ、彼は自分の国の素材こそオリジナリティの源であると確信しており、一九〇三年頃から民謡の採集を精力的に行う一方、一九〇六年には『英国賛美歌集』の編纂活動を通して、ルネサンス時代の古い音楽に親しんでいった。こうしてヴォーン=ウィリアムズは、民謡と古楽という二つの要素を基調とする独自の作風を自己の内部で醗酵させながら、本格的な創作活動に入っていく。
そうした彼の自己熟成への努力が最初に本格的に実を結んだのが、一九〇三年の着想以来、七年の月日を費やして完成させた大作《海の交響曲》(交響曲第一番)である。ソプラノおよびバリトン独唱と混声合唱を伴う、いわばカンタータと交響曲が結合したような作品で、歌詞はアメリカの大詩人ホイットマンの詩集『草の葉から採られている。最初の交響曲がこうした作品というのは奇妙なようだが、イギリスに於けるヘンデル以来の長いオラトリオ合唱の伝統と、その中で盛んに行われてきた合唱祭の一つでヴォーン=ウィリアムズ自身が指揮者を務めていた経験などを考えれば、納得がいく。「作品の構想は叙述的ないし劇的というよりむしろ交響的」という作曲者の言葉通り、通常の交響曲と同様の四楽章構成をとっており、作曲者の力量が存分に発揮されたすこぶるダイナミックかつシンフォニックな音楽の展開の中で、海が、自然が、そしてそれを乗り越えて行く船人たちの航海が讃えられるのである。劇的効果の高い曲だけに録音も比較的多いが、トムソンの演奏[シャンドス]は、スケールの大きな音楽作りという点で、中でも特に優れたものと言える。複雑な大曲を鮮やかにさばいて巧みに聴かせてくれるプレヴィン盤[英RCA]も素晴らしい。
《海の交響曲》の次にヴォーン=ウィリアムズが手掛けた交響曲は、声楽抜きの、管弦楽のみによるものであった。一九一二年から一三年にかけて作曲された《ロンドン交響曲》(交響曲第二番)である。やはり四楽章で、テムズ河の夜明けから日中の喧噪まで、ロンドンの生活の様々な情景が音楽の中に反映している。だが作曲者は、こう言う。「《ロンドン交響曲》という題は聴き手に描写音楽のような印象を与えるかも知れないが、しかしそれは作曲家の意図ではない。……音楽は「絶対」音楽でなければならない。だから聴き手がウエストミンスター寺院の鐘やラヴェンダー売りの声に気付いても、それは付随的なもの、音楽にとって本質的でないものと考えてもらいたい。」描写的要素はあくまで音楽構成上の素材として用いられている、という訳である。だがやはりそうした描写的要素がこの曲にとりわけ親しみ易い性格を与えることに貢献している、ということは確かであろう。グロスターシャーの生まれながらロンドンっ子を自認していた作曲者ならではの、暖かい人間性の感じられる名作である。ヴォーン=ウィリアムズの交響曲の中でも特に演奏される機会の多い曲の一つであり、ディスクも皆それぞれに優れていて、甲乙つけ難い。録音の新しいところだけ見ても、プレヴィンの新盤[テラーク」、ハイティンク[英EMI]、そしてトムソン[シャンドス]と、いずれも味わい深い演奏である。
《ロンドン交響曲》が初演されたのは一九一四年三月末、その三ヶ月後にサラエヴォ事件が起こる。第一次世界大戦勃発である。当時四二才のヴォーン=ウィリアムズは自ら兵役につき、フランス駐在の医療部隊や軍楽隊に勤務した。戦争後は一九一九年から、母校RCMの教員に迎えられた。彼は《ロンドン交響曲》の改訂に携わる一方、戦争中から構想を抱いていたそのカウンター・パートとも言うべき《田園交響曲》の作曲に着手する。
だが一九二二年に完成した《田園交響曲》(交響曲第三番)には、《ロンドン交響曲》に見られたような具体的な描写の要素は全くない。むしろ広漠とした英国の田園風景の、印象ないし心象風景といった趣きである。「この交響曲のムードは、標題が暗示する通り、殆どずっと静かで、黙想的である。フォルテシモは殆どなく、アレグロも殆どない。」確かに四つの楽章のテンポはいずれも中庸か遅めに設定されており、民俗舞曲風の第3楽章がやや賑やかなのを除けば、全体の色調も渋い。そうした性格のためか録音は少なく、全集を作った三人のものだけである(これも甲乙付け難い)。しかし決して近寄り難い作品ではない。むしろ本稿の最初に挙げたような人気の高い抒情的な作品群と同傾向の、ヴォーン=ウィリアムズ らしい魅力に溢れているのである。なお、第四楽章でソプラノまたはテノールによるヴォカリーズが用いられていて、印象的である。
《田園交響曲》の一三年後、ヴォーン=ウィリアムズは始めて標題のない交響曲を発表する。交響曲第四番。そしてこれが、既に述べたように、それまでのヴォーン=ウィリアムズからは考えられないほどの大胆な作風を示していたのである。暴力的とも言えるほどの大胆な不協和音や強烈なリズムは、確かにそれまでの彼の交響曲には見られなかったにしても、反面、彼がバックスやウォルトンの同時代者でもあったということを改めて確認させてくれる(この曲はバックスに捧げられている)。作曲者はこの曲に関しては、純粋に音楽的なことしか語っていない。「この交響曲を通じて二つの主要な主題が現れる。へ-ホ-変ト-ヘおよびヘ-変ロ-変ホ-変トである。前者は冒頭主題の最後に用いられ……」二つの切り詰められた音程動機による、主題展開のプロセス。この交響曲で追及されているのはそれであり、その意味でこれはヴォーン=ウィリアムズが新古典主義的な創作態度を前面に押し出した作品と言える。これも録音は少ないが、三人の全集の他、注目すべきことに作曲者自身の指揮した一九三七の録音がCD化されている[米KOCH]。
だが、まさにその大戦下で書かれたはずの次作、交響曲第五番(一九四三)には、不思議なことにそんな影の微塵も見られない。それどころか、第三番以前の、あの民謡と古楽を踏まえた温厚な作風に、完全に戻っているのである。書法は以前より更に純化され、澄み切った美しさに包まれている。四つの楽章は前奏曲、スケルツォ、ロマンツァ、パッサカリアと名付けられているが、パッサカリアに象徴される通り、全体は擬古典的な気分が支配的である。こうした特徴は、この曲が、ヴォーン=ウィリアムズが永年温め続けていたバニヤンによるオペラ《天路歴程》のための素材を用いて作られたということとも関連しているかもしれないが、交響曲自体には標題性はないと見てよいだろう。ともあれ、ヴォーン=ウィリアムズの交響曲中でも最も美しい作品であり、このところディスクも随分出てきている。中ではやはりトムソン[シャンドス]、プレヴィン[テラーク]、それにマリナー[英コリンズ]あたりが良いように思う。
第五交響曲に見られたような初期スタイルへの全面回帰は、しかし続かなかった。大戦中から書き進められ、戦後一九四八年に発表された交響曲第六番では、第四番のような新古典的手法を基本としながら、そこに民謡風の主題が取り入れられるなど、これまでのスタイルの総合が行われると同時に、サクソフォーンの採用やジャズ風のリズムの使用など、新たな試みが行われている。楽章構成も、通例の四楽章ながら、全楽章を切れ目なく演奏したり、終楽章を大団円のフィナーレでなくやや陰鬱な趣きの「エピローグ」にしたり、と工夫が凝らされている。比較的新しい録音はトムソン[シャンドス]とマリナー[英コリンズ]だが、どちらも秀演である。
第六交響曲初演と同じ一八四八年、ヴォーン=ウィリアムズは『南極のスコット』という映画のために二八曲の音楽を書いたが、四年後、彼はその映画音楽の素材を生かし、全五楽章からなる交響曲を作る。《南極交響曲》である。久々の標題交響曲で、前奏曲、スケルツォ、風景、間奏曲、エピローグと題された五つの楽章には、それぞれ内容を象徴的に表すような詩句が掲げられている(ディスクによってはそれを朗読しているものもある)。この曲の一番の特徴は、音色の多彩さだろう。様々な金属性打楽器やオルガン、更にはウインドマシーンから女声合唱とソプラノ独奏によるヴォカリーズまで用いて、「南極」のイメージにふさわしい神秘的な響きを作り出している。恐らくはこうした標題性と多彩な響きの魅力によって、この曲は第二次大戦後のヴォーン=ウィリアムズの交響曲の中では最も良く知られた作品となっている。曲の性格上、録音は新しいにこしたことはなく、やはりハイティンク[A]かトムソン[シャンドス]が良いだろう。
その後一九五八年に没するまでの間に、ヴォーン=ウィリアムズはもう二曲、交響曲を作曲する。どちらも八〇才を過ぎてからの作品と言うことになるが、戦後の彼の交響曲に共通する、新しい響きへの探求心が失われないのには驚かされる。
一九五六年に発表された交響曲第八番では、ヴォーン=ウィリアムズとしては小さめの、しかし特に金属製打楽器をふんだんに用いた二管編成によって、新鮮で洒脱な響きを生み出している。四つの楽章はそれぞれ「幻想曲(主題のない変奏曲)」、「行進曲風スケルツォ(管楽器のために)」「カヴァティーナ(弦楽器のために)」「トッカータ」と名付けられており、中間二楽章は文字通りそれぞれ管楽器のみ、弦楽器のみで演奏される。大家の遊び心とでもいったものが感じられる作品である。録音の新しさでやはりトムソン[シャンドス]が薦められるが、音は古いものの、初演者で被献呈者であるバルビローリ[パイ]も、さすがに手慣れた演奏である。
最後の交響曲第九番(一九五七)では、通常の三管編成にサクソフォーン三本とフリューゲルホルン一本が加えられて、前作とは対照的にオーケストラの響きを一層豊かにしている。アレグロ・マエストーソ、アンダンテ・ソステヌート、アレグロ・ペザンテ(スケルツォ)、アンダンテ・トランクィロといった各楽章の発想記号が端的に示す通り、全体に重く落ち着いた雰囲気の支配しており、老大家の創作の掉尾を飾るにふさわしい、気宇壮大な作品になっている。この、まさにヴォーン=ウィリアムズの交響曲創作の集大成といっても過言ではない力作には、トムソンもまた極めて充実した名演奏で応えている[シャンドス]。