5 ディズニー(1)
5 ディズニー(2)
ポピュラー音楽研究F「ミュージカルの歴史」の5回目です。
今日はディズニーの話です。映画と音楽、映画とミュージカルの結びつきを、アニメーションの領域で追及したのがディズニーでした。
ところで「ディズニー」という言葉から、まず思いうかべるのはどんなものでしょう。
ディズニー・ランドやディズニーシーのような、テーマパークでしょうか。
それらの遊園地を運営している大元(おおもと)の会社であり、またミッキーマウスやアナ雪などのアニメーション作品を制作している会社、「ザ・ウォルト・ディズニー・カンパニー」のことでしょうか。
それとも、それらのアニメや遊園地の生みの親であるウォルト・ディズニーという人のことでしょうか。
近頃の学生に「ディズニー」というと、必ず真っ先に「行きたーい」と返ってきます。みなさんにとっては、ディズニーと言えば「行くところ」なんですね。
でも私は違うんです。
私にとって「ディズニー」とは、人間ウォルト・ディズニーです。
私がこどもの頃、ディズニーのテレビ番組に出てきて、アニメの紹介などをしていたおじさんなんです。
この人がいたから世界のアニメーションやミュージカルは大きく変わりました。
この人が亡くなった後、ディズニー・カンパニーはしばらく沈滞し、そのあと蘇って、今は世界一のエンターテインメント産業として君臨しています。
でも私から見ると、今のディズニー・カンパニーは、ウォルト・ディズニーの精神を見失っているところがあります。とくに近年の、もともとアニメーションとして作られた作品を なんでも実写に作り替えてしまおう とする様子は、アニメーションの開拓者ウオルト・ディズニーの仕事を否定しようとしているようにしか見えません。
もちろん、リトルマーメイドやアナ雪IIのように、ディズニー本来の精神を受け継いでいると思われる作品もありますけどね。
ともあれそういう訳で、この授業で扱うのは、ウォルト・ディズニー自身が関わった作品に限りますので、ご承知ください。
ウォルト・ディズニーは最初新聞に漫画やイラストを描いていましたが、1920年頃から仲間と一緒にアニメーションの仕事を始めます。
1927年、というとつまり、最初の本格的ミュージカルであるショーボートや 最初のトーキー映画ジャズシンガーが生まれた年ですが、 その1927年に、ディズニーは映画会社ユニバーサルのために 「ウサギのオズワルド」を主人公にした短編シリーズを製作、成功をおさめます。
視聴:〈ウサギのオズワルド〉(1927)
しかしディズニーとユニヴァーサルとの関係がうまくいかず、ディズニーはユニバーサルと手を切ります。このとき、オズワルドの権利をユニバーサルに渡してしまったため、ディズニーが新しいキャラクターとして生み出したのがミッキーマウスでした。
そして1928年、最初のミッキー・マウス映画、「蒸気船ウイリー」が公開されるのです。
これはまた、ディズニーにとって最初のトーキー映画、音の出る映画でした。
視聴:〈蒸気船ウィリー〉(1928)
この作品で音楽はただのBGMではなく、映画の内容と一体化しています。とくに後半、「わらの中の七面鳥」という民謡が出てくるくだりは、完全に音楽映画といってもいいくらいです。
さて、これはミュージカルとディズニー作品の対照年表です(配布資料参照)。
一番左にミュージカルや映画の主な作品が並んでいます。
1927年に「ショーボート」と「ジャズシンガー」が登場して以来、1938年の「オズの魔法使い」、1943年の「オクラホマ」まで、舞台のミュージカルもミュージカル映画も、およそ10年くらい、空白になっています。
作品はたくさん作られるのですが、今日に残るようなものがあまり出てこないのです。
一方、その十年ほどの間に、ディズニーはたくさんの音楽アニメを生み出します。
真ん中の覧はミッキー作品の中で音楽をテーマにしたもの、その右の欄はディズニーが音楽とアニメの融合を狙って作り出した「シリー・シンフォニー」のシリーズ。
これらのたくさんの実験が、一番右の欄、白雪姫をはじめとする一連の長編ミュージカル映画の傑作たちにつながっていくのです。
ミッキー作品の中から音楽をテーマにした例として、日本では「ミッキーのオペラ見物」と呼ばれている、1929年の「ミッキーのオペラハウス」を見てみましょう。タイトルはオペラハウスとなっていますが、最初のシーンで映る劇場の看板には、「ヴォードヴィル・ショー」と書いてあることに注意してください。
実はオペラというより、当時の田舎のヴォードヴィル劇場の様子なのです。
視聴:〈ミッキーのオペラハウス〉(1929)
ミッキーで成功をおさめたディズニーは、音楽とアニメの融合、音楽をアニメで表現する、という実験を始めます。
それが「シリー・シンフォニー」、「馬鹿げた交響曲」というシリーズです。
その第1作が「骸骨の踊り」。グリーグの「小人の行進」という曲をもとにしたものです。この曲のタイトルは「小人」と訳されていますが、本当はトロール、北欧の伝説に出てくる妖精のことす。アナ雪にもトロールの村が出てきますね。ちなみにトロールのリーダーの声は本学ミュージカルコースの安崎先生なんですよ。
それはともかく、ディズニーはトロールのイメージを骸骨に置き換えて、この「骸骨の踊り」を作り上げました。
視聴:〈骸骨の踊り〉(1929)
「シリーシンフォニー」のシリーズで、ディズニーは素晴らしい成果を上げ、1932年の「花と木」のようにアカデミー賞をとる作品も生まれてきます。
そしてその後、ディズニーは、オリジナルのストーリーではなく、世界の名作童話にもとずく作品を作り始めます。
その最初の作品が1933年の「三匹の子ぶた」で、これもアカデミー賞を受賞します。
この作品はまた、このために作られたオリジナル曲が大ヒットした、という意味でも、記念すべき作品です。
名作路線はその後も「ハーメルンの笛吹き」「アリとキリギリス」と続き、それらが母体となって、1937年の最初の長編ミュージカルアニメーション「白雪姫」につながっていくのです。
視聴:〈三匹の子ぶた〉(1933)
視聴:〈白雪姫〉(1937)
ところでディズニー・アニメでは、効果音も含めすべての音楽的要素がアニメの動きに合わせて付けられました。こういう手法は、業界用語でミッキーマウジングと呼ばれます。音楽が独立していない、という皮肉を込めて使われることもある言葉ですが、ディズニーが映画音楽のひとつのモデルとなった、という象徴的な言葉です。
この頃の録音風景を映したものがあります。「リラクタント・ドラゴン、お人よしの竜」という作品の中に出てきます。
主人公は「おひとよしのりゅう」という絵本をアニメにしてもらおうとディズニー・スタジオを訪れ、録音風景を見学させてもらう、という場面です。
吹き替え版だと効果がなくなってしまうので、英語字幕を付けたものをご覧ください。
視聴:〈リラクタント・ドラゴン〉(1941)
音楽とアニメの融合、アニメで音楽を表す、という試みの集大成として、ディズニーは1940年に「ファンタジア」という作品を作ります。
映画に音が付く仕組みを紹介した「サウンドトラックくん」のところと、一番有名な「魔法使いの弟子」の場面を少しご覧いただきましょう。
まずは映画に音が付く仕組みを紹介した「サウンドトラックくん」のところ。
視聴:〈ファンタジア〉(1940) より「サウンドトラックくん」
今の部分、波形の様子にはときどき嘘が入ってましたから気を付けてくださいね。さて次に、ファンタジアの中でも一番有名な「魔法使いの弟子」の場面です。
視聴:〈ファンタジア〉(1940) より「魔法使いの弟子」
さて、ディズニーは1940年からアニメーションだけでなく実写の映画も作るようになります。
そして、アニメと実写の合成、実写映像の中でアニメのキャラクターが動き回る、というような試みも行います。
その代表作であり、ウォルト・ディズニー自身が制作にかかわった最後の作品ともなったのが、1964年の「メリーポピンズ」でした。
視聴:〈メリーポピンズ〉(1964)より
その2年後にウォルト・ディズニーは世を去ります。
先ほども言いましたが、ウォルトの死後ディズニー・カンパニーはしばらく沈滞し、その後1989年の「リトルマーメイド」をきっかけに、奇跡の復活を遂げます。
いわゆる「ディズニー・ルネサンス」です。
美女と野獣、アラジン、ライオンキングなどの作品を生み出し、それらの作品のいくつかは、1997年以降、舞台作品としてブロードウエーで成功を収めたりもします。
でも、ここでは、ディズニーといえばあくまでもウォルト・ディズニー、ということで、お話はひとまずメリーポピンズで閉じさせていただきます。