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ミュージカルの歴史 第14回 音声付きスライド
history of musical #14 slide with audio

国立音楽大学2021年度講義『ポピュラー音楽研究F ミュージカルの歴史』第14回
オンライン授業用の動画と文字おこしです。
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*授業の回数(第14回)と動画の番号(12、13)がずれていますが、間違いではありません。
◆配布資料

●動画1

12 日本のミュージカル(2-1)

●動画1

12 日本のミュージカル(2-2)
13 ミュージカルの今後?​

●講義内容(文字おこし)

・導入:追悼 神田沙也加さん

神田沙也加さんがお亡くなりになりました。
私、実は1月に名古屋で行われるマイフェアレディの公演を見に行く予定でした。朝夏まなとさんとダブルキャストで上演されていて、朝夏さんの舞台は帝劇で見ていたのですが、それがとても良かったので、神田さんのも見てみたいなと思って、でも時間の合うのが名古屋公演しかなくて、チケット買ってあったんです。

「アナ雪」なんかも含めて、本当に仕事が乗りに乗っているところだっただけに、本当に残念です。
いま、日本はたくさんのミュージカル・スターが育っています。テレビで活躍する人も増えて、一般の人にもミュージカルが特別なものではなくなってきました。そんな、これからのミュージカルをしょって立っていく代表の一人が神田沙也加さんでした。
自殺なのか事故なのか、原因はまだ分からないようですが、心からご冥福をお祈りしたいと思います。

さて、ミュージカルの歴史を眺めてきた授業ですが、前回から、まさにその日本のミュージカルの話をしています。
前回は戦前から1960年代くらいまでをたどりました。
今回は、その続きを少し見たあと、「ミュージカルの今後」という話をします。

 ・前回の振り返り

少し振り返っておきます。
第2次大戦以前、日本のミュージカルは、宝塚と浅草で、それぞれ独自の発展をとげてきました。

戦後、東京のミュージカルの中心は浅草から帝劇に移ります。
当初、1960年代初めまでは、たくさんのオリジナルミュージカルが作られていました。

帝劇ミュージカル、その後の東宝ミュージカル。関西では、宝塚のほかに労音ミュージカルというのもありました。
名曲「見上げてごらん夜の星を」も、もとは労音ミュージカルから生まれたものでした。

でもその後、日本オリジナルのミュージカルよりも、アメリカのヒット作品を輸入して上演するようになります。
そのきっかけとなったのが、1963年、まさに「マイ・フェア・レディ」でした。

「マイ・フェア・レディ」に続いて、さまざまなブロードウエイのヒット作が日本で上演されるようになり、日本のミュージカルの主流は、すっかりブロードウエイの焼き直しに持っていかれてしまうことになります。

一方、オリジナル・ミュージカルは、低迷します。もともと普通のお芝居をやっていた劇団四季がミュージカルに進出したり、帝劇でも「風と共に去りぬ」にもとづくオリジナル作品を発表したりしますが、大きなヒットにはつながりません。

・1970 東京キッドブラザース『黄金バット』

そんな中、若手の劇団東京キッドブラザーズ「黄金バット」という作品で注目を集めました。

東京キッドブラザースは、1968年に「和製ロック・ミュージカル」をめざして結成されました。
2年後には『黄金バット』でアメリカ進出。オフ・オフ・ブロードウエイでの上演がニューヨーク・タイムズに絶賛され、一段上のオフ・ブロードウエイに進出、当時人気ナンバーワンのテレビ番組、「エド・サリヴァンショー」にも出演します。次の映像はその時のもののようです。

 視聴:「エド・サリヴァンショー」での東京キッドブラザース

もともと日本的の伝統的な要素を含む作品だったようですが、TVショーということを意識して、あえてそれを強調したいたようです。
次の映像は、日本帰国後に行われた凱旋公演と、主催者、東(ひがし)由多加へのインタビューです。

 視聴:凱旋公演とインタビュー

実際の舞台は、ロックミュージカルの元祖「ヘアー」の影響を強く受けたものだったことがうかがえます。
この劇団には、その後柴田恭兵、三浦浩一など、のちに俳優としても活躍する人材が加わります。
その頃に作られたプロモーション映像です。

 視聴:東京キッドブラザースのプロモーション映像(1980頃?)

柴田恭兵、かっこいいですね。今の若い人たちから見るとなんでそんなにカッコつけてんの、という感じかもしれないですけど、まあ、そういう時代だったんです。
東京キッドブラザーズはその後も活動を続けますが、この頃のような注目を集めることはもうなくなっていきました。

・1974宝塚『ベルサイユのばら』

さて、東京キッドブラザースの「黄金バット」の4年後、宝塚から、オリジナルミュージカルとしては最初のヒット作が生まれます。「ベルサイユのばら」です。
フランス革命を舞台に大ヒットした漫画が原作という意味では2.5次元ミュージカルの先駆ともいえるわけですが、演出を歌舞伎出身の大スター長谷川一夫が手掛けたということも話題を呼びました。

でも、その時だけでなく、今日まで何度も繰り返し上演され続けているというのは、作品自体に力がある証拠でしょう。
初演時の舞台からご覧ください。

 視聴:「ベルサイユのばら」初演映像

残念ながら、「ベルばら」のように時代を超えて上演し続けられる作品はその後の宝塚にもないようです。

また、東京キッドブラザーズ以降、音楽座ふるさときゃらばんなど、オリジナルミュージカル、創作ミュージカルをめざしていくつもの劇団が生まれましたが、いずれも大きな成功は難しいようです。

・わらび座

そんな中で、地方に根差して活動をつづけ、独自の存在感を示しているユニークな存在があります。
わらび座です。
わらび座は終戦後間もない1951年に誕生した古い劇団ですが、当初はミュージカルではなく、伝統的な民謡や民俗舞踊を中心とした民俗芸能を中心に活動していました。
それは現在でもなくなった訳ではありません。

 視聴:わらび座による民俗舞踊

最初は東京から全国を公演して回る形をとっていましたが、1953年から秋田の田沢湖畔に本拠を移します。
1970年代にはそこに専用の劇場を開設、さらに1990年代にはホテルや温泉なども備えた総合的リゾート施設へと拡大し、経営基盤を確立します。
そのころから本格的なオリジナルミュージカルの制作と上演も行うようになり、地方に根差し、全国にも発信する力をそ
なえた貴重な存在として知られるようになりました。
そうしたオリジナル作品の一つ、「風の又三郎」のプロモーション映像です。

 視聴:わらび座「風の又三郎」のプロモーション映像

このわらび座も、残念ながら新型コロナの影響を受けて経営が悪化、今後は一般社団法人として活動を続けていくことになったようです。
伝統のある劇団ですから、今後も息の長い活動を続けてもらいたいと願っています。

・ミュージカルの今後?

さて、これまで約100年にわたるミュージカルの歴史を眺めてみました。
ここ2年ほどは新型コロナの影響でちょっと谷間がありましたが、大きく眺めたとき、いまミュージカルはとても栄えて
いるように見えます。
でも問題はないのでしょうか。私が気がかりに思っている点をいくつか挙げてみます。
まず「ジュークボックス・ミュージカル」の問題、次に「新しいミュージカルを牽引する音楽スタイルはどうなっているのか」ということ、そして「日本からの発信は可能か?」という問題です。

 ・ジュークボックス・ミュージカル

1980年代ごろから、ジュークボックス・ミュージカルというのがたくさん作られるようになりました。
ジュークボックス・ミュージカルとは、ミュージカル用に書き下ろされた新曲ではなく、既存のヒット曲を使ったミュージカルのことで、たいていは特定のミュージシャン、あるいはグループの曲を集めて、そこにストーリーをくっつけてミュージカルに仕立て上げたものです。
ストーリーは、そのミュージシャンの伝記的な内容であることもありますが、まったく本来の音楽と関係のない話のこともあります。

Wikipediaの英語版には年代別の一覧が載っています。1970年代の後半からつくられはじめ、最初はさほどでもないのですが、2000年代に入って一気に作品数が増えています

1999年に、ABBAの音楽をもとにした「マンマミーア」という作品が大ヒットしたことで、ジュークボックス・ミュージカルは当たる、ということが製作者たちに浸透したからだと思います。
クイーンの楽曲を使った「ウイ・ウィル・ロック・ユー」やジョン・レノンの曲による「レノン」なども作られています。
「マンマミーア」のプロモーション映像をごらんください。

 視聴:「マンマミーア」プロモーション映像

ジュークボックス・ミュージカルでは、新曲を作る必要はなく、そのミュージシャンや曲のファンを観客として当て込むこともできます。制作する側からすれば、効率がいい。
ただ問題は、その曲を作っているミュージシャン本人の関与なしに作られたものが多い、ということです。

本人が制作に関わっているなら、それは本人の作品と考えることができますから、問題はありません。
また、ストーリーが本人の伝記を描いているような場合は、その音楽を使う必然性もあります。

でも、本人が制作にほとんど関与せず、ストーリーも本人と関係のない場合、その楽曲を使う必然性がありません
少なくとも音楽に関しては、ミュージカルのプロダクションとしてまったく創造性やオリジナリティを見せず、クオリティと評価を過去のヒット曲に依存しているだけ、という風に見えます。
こういう姿勢は、ミュージカルの健全な発展を妨げることになっている、と私は思っています。

・ポピュラー音楽のスタイルとミュージカル

ところで、この授業の第1回で申し上げたように、1920年代に誕生して以来、ミュージカルはその時々のポピュラー音楽のスタイルを取り入れながら発展してきました。
しかし1980年代にヒップホップ、ラップがポピュラー音楽の中で大きな地位を占めてから、それをミュージカルに生かした成功作、ハミルトンが登場するまで、30年近い時間がかかりました。しかもハミルトン以降、ラップがミュージカル全体に浸透するということもあまりないようです。
もう一度、ハミルトンの一部を見てください。

 視聴:「ハミルトン」より

ポピュラー音楽の潮流は今、ラップとエレクトロニカが融合したEDMへとさらに動いているのですが、ミュージカルは足踏みを続けています。これもまた、健全な発展とはいえないのではないか、と思います。
ハミルトンに続くヒップホップミュージカルは現れるのか、EDMミュージカルは現れるのか。

20世紀末に一時沈滞気味であったミュージカル映画は、2000年代に入ってまた勢いを増してきました。
「ラ・ラ・ランド」
「グレイテスト・ショーマン」のような傑作も生まれています。

でも、舞台のミュージカルはどうでしょう。新作は次々生まれていますが、ハミルトン以外、歴史を大きく塗り替えるような作品はなさそうです。ミュージカルは、果たして次の時代を生き抜いていけるのでしょうか

・日本のミュージカルの今後

さて、日本のミュージカルはこれからどうなっていくでしょうか。
日本で今、人気の高い作品のほとんどは欧米からの輸入ものです。
1950年代60年代にあんなに盛んだったオリジナル・ミュージカルは、すっかり地味になってしまいました。
いや、2.5次元があるじゃない、という声が聞こえてきます。

 ・2.5次元ミュージカル

たしかに2000 年代に入ってから日本では「2.5 次元ミュージカル」と呼ばれるものが流行しています。
漫画・アニメ・ゲームなどのヒット作をミュージカル化したもので、ストーリーは原作のものを踏まえ、音楽は新しく付け足されることが多いようです。
2003年の「テニスの王子様」のヒットがきっかけとなり、追随する作品が続々と現れました。紹介ビデオをご覧ください。

 視聴:「テニスの王子様」紹介映像

マルチメディアを駆使した演出などに確かに新しさも認められますが、しかし評価やクオリティーの重要な要素を最初から原作やキャラクターの人気に依存しているところは、ジュークボックス・ミュージカルと共通しています。
つまり、ミュージカルとしての創造性やオリジナリティを本当の意味で追求していない、と言わざるを得ません。

とくに音楽については、その中の曲がとくにすばらしい、とか、独立して歌われて、多くの人に知られるようになった、とかいった話は聞いたことがありません。
というより、多くの2.5次元ミュージカルでは、音楽的要素はむしろ軽視されていると言っても良いのではないかと思うほどです。「刀剣乱舞」の一部をご覧ください。

 視聴:「刀剣乱舞」より

高校の文化祭レベルです。お金をとって聞かせるものではありません。
こういうのを「新しい演劇」などと言って持ち上げるのは、演劇への冒涜です。
2.5次元に日本のミュージカルの未来を託すのは、私は無理だと思います

2.5次元に限らず、日本のミュージカル界は音楽を軽視しているように思えてなりません。
日本のミュージカルのチラシを見ても、作曲家の名前がどこにも書いてなかったり、裏のスタッフ一覧のところに小さい字で書いてあるだけ、というようなことがあります。私なんかから見るとミュージカルの命は音楽なんですが、そう思わない人が多いのでしょうか。

作曲家の扱いが小さいだけでなく、キャスティングに必ずしも歌唱力が考慮されない。
舞台を見る前に、今日の人たちはちゃんと歌えるんだろうか、と心配しなければならない、なんてことは、ほかの国では絶対にないことです。

今でこそ日本でもミュージカル・スターと言われる人たちがたくさん育ち、テレビなどでも目にするようになりました。
神田沙也加さんもそうです。城田優君のように2.5次元出身の人もいます。
歌える人がどんどん増えているのは嬉しいことです。ただそれが、個人のスターをもてはやすだけでなく、ミュージカル全体の音楽的質を高めてくれるように働くといいな、と思います。

目新しさや原作の人気に依存するのではなく、作品自体のオリジナリティとクオリティで多くの観客を魅了するような、そして日本から世界に発信できるような作品が、生まれてほしいものだと思っています。

ミュージカルは今、華やかに栄えているように見えますが、現実を直視すると、ミュージカルの将来像には不安な要因もたくさんあります。
あなたはミュージカルの将来は明るいと思いますか、暗いと思いますか。授業で学んだミュージカルのこれまでの変遷と現状とを照らし合わせたとき、今後ミュージカルはどのようなものになっていくでしょうか。
ミュージカルがこれからさらに100年栄えていくためには、ミュージカルに何が必要でしょうか。
また、日本のミュージカル
はこれからどのようになっていく(べき)でしょうか。

この機会に、ぜひ考えていただきたいと思います。

ということで、ミュージカルの歴史の授業はこれでおしまいです。
これをご覧になっているみなさんは、結局一度もお目にかかれませんでしたが、14回おつきあいいただき、ありがとうございました。

神田沙也加さんはもういらっしゃいませんが、私たちはこれからも前向きに頑張っていきましょう。お元気で。

吉成 順

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