*授業の回数(第12回)と動画の番号(11)がずれていますが、間違いではありません。
11 ヨーロッパ系ミュージカル(1)
11 ヨーロッパ系ミュージカル(2)
11 ヨーロッパ系ミュージカル(3)
11 ヨーロッパ系ミュージカル(4)
さて、今日は「ヨーロッパ系ミュージカル」です。
前回も申し上げた通り、ロイド=ウエッバーはイギリス生まれのミュージカルをブロードウエイで大成功させました。そこから、ヨーロッパが発信地となる道が開きました。
プロデューサーのキャメロン・マッキントッシュは、フランス人の作曲家、クロード=ミシェル・シェーンベルグと組んで、「レ・ミゼラブル」や「ミス・サイゴン」をヒットさせます。その後も、ウィーンやフランスから新作がどんどん生み出されていきます。
キャメロン・マッキントッシュは、ロイド=ウエッバーと組んで「キャッツ」を成功させた人物でした。
その時の体験から、最初からブロードウエイを狙うより、まずヨーロッパで内容を固めてからアメリカに進出した方が良い、と確信します。彼はその後もロイド=ウェッバーとは「オペラ座の怪人」を成功させることになりますが、その一方で、フランスの作曲家シェーンベルグにも注目したのでした。
シェーンベルグは、もともとフランスで歌手やプロデューサーとして活動していましたが、作詞家アラン・ブーブリルと組んでユーゴーの大河小説「レ・ミゼラブル」のミュージカル化を試みます。そこにキャメロン・マッキントッシュの力が加わることになるのです。
貧困から罪びととなり、警察に追われることになった主人公ジャン・バルジャンの人生を、その周辺の人々の人間模様とともに描いた壮大な物語を、彼らはぎゅっと圧縮して一編のミュージカルにまとめあげました。若者たちが革命のために戦う場面は圧巻です。
ところでこの革命、フランス革命だと思っている人も多いようですが、そうではありません。
フランス革命は1789年ですが、レミゼに出てくるのはその約40年後、1830年の7月革命というやつです。
自由と平等を勝ち取る戦いは、実は長い長い時間をかけて実現したものなのです。
舞台のよい映像がないので、10周年記念のコンサートからご覧ください。
まずは冒頭近く、盗みの罪で捉えられていたジャン・バルジャンが仮釈放され、世の中に出る場面です。
視聴:「レ・ミゼラブル」(10周年記念演奏会)「プロローグ」より
苦難を乗り越えて市長となったジャン・バルジャンは、貧しい女性ファンティーヌと出会います。
ファンティーヌは若いころの自分を思いながら「夢やぶれて」と歌います。
視聴:「レ・ミゼラブル」(10周年記念演奏会)「夢やぶれて」
ファンティーヌは幼い娘コゼットを託して世を去り、ジャン・バルジャンはコゼットを養子として育てます。
一方、町では革命の機運が高まり、若者たちが立ち上がろうとしていました。
視聴:「レ・ミゼラブル」(10周年記念演奏会)「abcカフェ」~「民衆の歌」
ジャン・バルジャンは、自分の犯罪歴を知るジャヴェール警部の影におびえながら、すっかり成長した娘を守ろうとします。
革命のざわつきの中で一人一人が自分の思いを歌います。
視聴:「レ・ミゼラブル」(10周年記念演奏会)「ワン・デイ・モア(1幕フィナーレ)」
バルジャンは革命に参加し、バリケードの中で捕虜となっていた宿敵ジャヴェールに再開します。
でもそこで、バルジャンはジャヴェールを解放するのです。
視聴:「レ・ミゼラブル」(10周年記念演奏会)「バリケードの戦い」~「ジャベールの解放」
革命騒ぎの中でコゼットは青年マリウスと恋に落ち、結婚します。
ジャンバルジャンは自分の罪を告白して二人から離れますが、身体は衰えていきます。
神への祈りの中、ファンティーヌの面影を思いつつ、若い二人に支えられながら、彼は旅立ってい
くのです。
視聴:「レ・ミゼラブル」(10周年記念演奏会)「エピローグ」
さて、マッキントッシュとシェーンベルグ、ブーブリルの3人が次に送り出したのは、「ミス・サイゴン」でした。
プッチーニの「蝶々夫人」の舞台をベトナム戦争下のサイゴンにおきかえ、ベトナムの貧しい娘とアメリカ人兵士の物語として描いたのです。
25周年記念の公演からごらんください。
まずは冒頭、米兵たちを相手にする酒場でキムとクリスが出会います。
酒場の喧騒の中で、女性たちはそれぞれに自分の夢を歌います。
視聴:「ミス・サイゴン」(25周年記念公演)「火がついたサイゴン」
キムとクリスが愛を確かめ合う「太陽と月」です。
視聴:「ミス・サイゴン」(25周年記念公演)「太陽と月」
戦争は終わり、きっと迎えに来る、といってクリスはアメリカに帰っていきます。
キムはクリスの言葉を信じながら、貧しく厳しい生活に耐えています。
一方のクリスはアメリカで別の女性と結婚していたのですが、夜な夜なキムのことを夢見てうなされます。
そんな夫を見て、妻のエレンは彼のことを信じている、と歌うのです。
視聴:「ミス・サイゴン」(25周年記念公演)「今も信じてるわ」
キムにはクリスとの子供が生まれていました。キムは子供をクリスに託そうとしますが、自分の存在が邪魔になると思い、自ら命を絶ってしまうのでした。悲しい結末です。
シェーンベルグとブーブリルのコンビはさらに作品を作りますが、レミゼやミスサイゴンのような成功には恵まれませんでした。
さて、1990年代に入ると、ウィーン発のミュージカルが注目を集めるようになります。
ウィーンといえば、ミュージカルのルーツのひとつであるオペレッタの中心地だったところですが、20世紀中ごろからはすっかりアメリカ製のミュージカルに押されていました。
それが、今度はミュージカルの発信地として名乗り出たのです。
最初に注目を集めたのは作詞家ミヒャエル・クンツェと作曲家シルヴェスター・リーヴァイが組んだ「エリーザベト」です。
ちなみにこの作品、日本では「エリザベート」と呼ばれているのですが、ドイツ語では本来エリーザベトとリが伸びるのが正しいので、この授業では「エリーザベト」と表記します。
バイエルンの王女として生まれ、オーストリア皇帝のお妃となった女性、エリーザベトを主人公とする歴史物語で、「死」を擬人化した「トート」という存在を登場させるなど、ただ伝記をなぞるだけではない深いドラマを描こうとしています。
ウィーンで成功を収めたあと、ブロードウエイにも進出したものの成功しませんでしたが、日本と韓国では大ヒットになりました。
ヨーロッパや日本ではもともと歴史ドラマが大衆にも好まれる傾向があったため、成功しましたが、当時のブロードウエイの観客はすでに地方や外国からの観光客が中心になっており、エンターテインメント性が少なく小難しい歴史ものは敬遠されたのでしょう。
少女時代のエリーザベトが事故にあい、トートと出会う象徴的な場面をご覧ください。
視聴:「エリーザベト」(2003ウィーン公演)より「黒い王子」
ウィーン発のミュージカルは、その後もいろいろな作品が作られ、日本からは作品の委嘱も行われていますが、上演されるのはヨーロッパとアジアに留まり、なかなかアメリカ進出は果たせないようです。
一方、シェ-ンベルグとブーブリルのコンビのあと、90年代後半からフランスにまた傾向の違うミュージカルが生まれます。
ダンスの振付家がプロデュースする、スペクタクル性の強い作品群です。
ウィーンのミュージカルと同様、歴史ものが多いため、アメリカ進出はできませんが、ヨーロッパと日本や韓国では高い人気があります。
ルイ14世の生涯を描いた「太陽王」から、ルイ14世が自分の立場を自覚して「太陽のごとく輝け」と歌う場面です。
視聴:「太陽王」より「太陽のごとく輝け」
舞台の様子は当時の豪華絢爛さをよくあらわしていますが、私みたいに音楽史をやっている立場からすると、舞台の情景と全然そぐわない音楽に違和感を感じてしまいます。
ルイ14世を描くのなら、音楽はリュリの曲を使うか、少なくともリュリを上回る説得力がないとなあ、と思わざるを得ません。
フランスのミュージカルからもうひとつ、わが国でもおなじみの「1789―バスチーユの恋人たち―」をご覧いただきましょう。
「1789」というタイトルから分かるように、フランス革命真っ只中のドラマを描いた作品です。
まずは、王妃マリーアントワネットが登場する場面です。最後の方に王様ルイ16世も出てきます。
視聴:「1789」よりアントワネットとルイ16世
絢爛豪華な宮廷生活ですが、音楽がまったくその時代を感じさせないのが残念です。
あんなに豪華な音楽が鳴り響いていた時代なんですけどね。
一方、革命の指導者、ダントンが登場する場面には、当時の音楽が使われています。
ここで民衆が歌い踊る曲は「サ・イラ」といって、革命当時本当に大流行した曲です。
まったく時代考証をしてない訳でもないんですね。
視聴:「1789」よりダントンと「サ・イラ」
さて、今回はヨーロッパ系のミュージカルをつまみ食いしました。
次回は日本のミュージカルです。よろしくお願いします。