9 ロックミュージカル(2)
10 ロイド=ウェッバー(1-1)
10 ロイド=ウェッバー(1-2)
前回は1970年ごろに現れたロックミュージカルから、「ヘアー」と「ジーザス・クライスト・スーパースター」の話をしました。ロックのサウンドに「ミュージカルらしくない」と感じた人や、逆に「どこがロックか分からない」と感じた人もいらっしゃいました。「ジーザスクライスト・スーパースター」について、旋律の跳躍やリズムの取りにくさといった、音楽的な難しさについて触れた人が何人かいらっしゃいましたが、さすが音大生ですね。
作曲者ロイド・ウエッバーの音楽性の高さとその後の活躍については今日の後半から次回にかけてたっぷりとお話ししますが、その前に、前回ご紹介したロック・ミュージカルの流れを受け継ぎ、20世紀末の時代背景を反映させて大きな話題を呼んだ作品をご覧いただきます。
簡単に前回の復習を兼ねて、ロックミュージカルが登場したころを振り返っておきましょう。
1960年代半ば、アメリカの若者たちはベトナム戦争という現実と向き合うことを余儀なくされ、若者たちの間に反戦運動がおこり、反体制、反社会の風潮が広がります。その象徴となった音楽ジャンルがロックでした。若者たちは、ロックの響きをふんだんに使い、当時の若者文化をそのまま反映したミュージカル「ヘアー」を生み出して、大人の文化であったミュージカルの世界に殴り込みをかけました。
続いて現れた「ジーザス・クライスト・スーパースター」は、同じようにロックのスタイルを取り入れつつ、キリストという普遍的なテーマを描くことで、時代を超えて生き残る作品になりました。
その後、最初は斬新だったロック的な響き、エレキギターの音や8ビートのドラムは、わざわざ断るまでもない当たり前のものとしてミュージカルの世界に浸透していくのですが、それでも、ことさら「ロック」の響きにこだわった作品があります。
そうしたもののいくつかは、ロックミュージシャンを主人公にしていたり、ロックがはやり始めた1950年代を舞台にしていたりするのですが、そうではなく、ロックの現代的な響きを使うことで、20世紀末という時代の社会問題を描き、大きな話題を呼んだ作品が現れます。
1996年の《レント》です。プッチーニの歌劇《ラ・ボエーム》を現代のニューヨークに置き換え、貧しいけれど芸術家としての成功を夢見る若者たちを描いています。
この作品が作られたころ、音楽の流行はだんだんロックからヒップホップやエレクトロニカに移っていましたが、作者ジョナサン・ラーソンはあえてやや古いロックの響きにこだわることで、普遍性を出そうとしたのかもしれません。
2005年には映画版も作られました。
まず、ドキュメンタリーをご覧ください。
視聴:「レント」ドキュメンタリー
待ち望んだ初演を目前にして亡くなったラーソンの生涯、それ自体がドラマのようでしたね。
では次に、大ヒットとなった初演以来12年続いた公演の最後となった2008年の舞台から、ミュージシャンを目指す青年ロジャーとダンサーのミミが出会う場面です。原作のオペラ「ボエーム」で有名な「私の名はミミ」がうたわれる場面ですね。
視聴:「レント」(舞台2008)よりロジャーとミミの出会い
次に、このミュージカルを代表する名曲、「シーズンズ・オブ・ラブ」。
映画版では最初に歌われますが、本来の舞台では第2幕が開く直前にキャスト全員で歌われます。
この2008年の公演では、初演時のオリジナルキャストも一緒に歌っています。
視聴:「レント」(舞台2008)より「 シーズンズオブラブ」
いろいろあってロジャーとけんかし、ミミは病気を抱えたまま飛び出します。公園に倒れているのを見つけられたミミは、ロ
ジャーのもとに連れ戻されます。最後の場面です。
視聴:「レント」(舞台2008)よりミミの帰還
原作のボエームを知っていれば「え、ミミは死なないの」という感じなんですが、これが今風なのかもしれませんね。
さて、ロックミュージカルの話はここまでにして、次に「ジーザス・クライスト・スーパースター」の作曲家、アンドリュー・ロイド=ウエッバーのそのほかの仕事をまとめて眺めてみることにしましょう。
毎年驚く人がいるのですが、ロイドウエッバーは「キャッツ」や「オペラ座の怪人」の作曲家でもあります。
そもそも「キャッツ」と「オペラ座の怪人」が同じ人の作曲だ、ということを知らない人も結構いらっしゃるんですよね。
ちなみにロイド=ウエッバーというのが、苗字です。英語の綴りだと二つの言葉に分かれてるんですが、これで一つの苗字なのです。ロイドが名前、ウエッバーが苗字ではありません。ですから、日本語で書く時にはロイドとウエッバーの間にハイフンと
か2重のハイフンを挟んでつなぐこともよくあります。
また、ウエッバーの綴りはwebberとbが2つ重なるので、私はカタカナで書くときは小さいツをいれるようにしています。最近は
小さいツをいれずにウエバーとカタカナ書きすることも多いようですけどね。
さて、このアンドリュー・ロイド・ウエッバーは、ロンドンの音楽一家に生まれました。お父さんのウイリアム・ロイド・ウエッバーは音大の作曲の先生で、そのかたわら教会でオルガンも弾いていました。
視聴:ウイリアム・ロイド・ウエッバー「ミサ曲」より
きれいな曲でしょう。これ、お父さんのウイリアムが作ったミサ曲なんです。この才能を息子アンドリューも受け継いだんです
ね。ちなみにアンドリューの弟ジュリアンはチェロ奏者として有名です。
こうした音楽一家に生まれたアンドリュー・ロイドウエッバーが、世界的なミュージカル作曲家として成功するのです。
名作をたくさん作ったというのはもちろん一番重要な功績ですが、それまでミュージカルといえばアメリカのもの、というのが当たり前だったところに、イギリスから新作を次々に発信し、それをブロードウエイでもヒットさせた、という点でもミュージカルの歴史を塗り替えた存在です。
イギリス発のミュージカルは、1960年に、ここでも見ていただいた「オリバー!」がアメリカでもヒットしたことがありましたが、単発の現象で終わってしまいました。
ロイドウエッバーの功績は、ロンドンからどんどんヒット作を送り続け、パリやロンドンなど、その後のヨーロッパ・ミュージカルへの道を開いたことにあります。
彼の作品の特徴をまとめておきましょう。
・通作が多い
まず、通作が多いことです。ふつうのミュージカルは、セリフによる普通のお芝居の間にときどき歌が入る、という形が多いです。でもロイドウエッバーの作品には、最初からずっと音楽が鳴りっぱなし、地のセリフがほとんどなくて歌いっぱなし、とう作品がしばしばあるのです。ヴェルディやワーグナーがオペラでやった手法です。
・ライトモチーフないし循環主題による統一
次に、ライトモチーフないし循環主題による音楽的統一です。
ライトモティーフはワーグナーがオペラで使ったもの、循環主題はフランスの作曲家たちが交響曲やソナタで使ったものですが、要するに長い曲のあちこちに同じメロディーや音型が繰り返し出てきて、曲の統一感を高めるのです。これは、すでにバーンスタインも「ウエストサイド」でやっているのですが、ロイドウエッバーもよく使うやり方です。
・多彩な音楽語彙
3番目は多彩な音楽的ボキャブラリー。音楽についていろんなワザを持っているのです。出世作「ジーザス・クライスト・スーパースター」はロックミュージカルでしたが、そればっかりではありません。ジャズ、ラテン、クラシックも様々な手法を自由自在に操ることができます。
「オペラ座の怪人」の中に、オペラの場面がいくつか出てきます。
ひとつは、マイヤベーアとかヴェルディとかを思わせる、大掛かりなグランドオペラ。
視聴:「オペラ座の怪人」より「ハンニバル」
もうひとつは、モーツァルトやペルゴレージを思わせるオペラ・ブッファ。
視聴:「オペラ座の怪人」より「イルムート」
この二つ、どちらも既存のオペラを引用してるんだろうと思ってる人が多いんですが、ちがうんです。
どっちもロイド・ウエッバーが自分で作曲してるんですね。
ヴェルディ風に作ろうと思ったらヴェルディ風に、モーツァルト風に作ろうと思ったらモーツァルト風に、いくらでもできちゃうんです。
ロックでもジャズでも、なんでもできちゃう。ここまで多彩な人は、そうはいません。
・初期作品にみられる宗教性
そして、ロイド・ウエッバーの作品の、とくに初期の作品群にみられる特徴は、宗教性です。
出世作「ジーザス・クライスト・スーパースター」が宗教的なのはすぐにわかりますが、実はその前にお試しのような作品がひとつありました。「ヨセフ・アンド・アメージング・テクニカラー・ドリームコート」という長いタイトルなんですが、これが旧約聖書の物語にもとずいた作品なんです。
「学校オペラ」として構想されたのですが、当初は上演の見込みがなく、レコードアルバムだけが作られました。でもロイドウエッバーが有名になってからは各地で上演されています。その冒頭部分を少しごらんください。
視聴:「ヨセフ・アンド・アメージング・テクニカラー・ドリームコート」より
このお試し作品「ヨセフ」の2年後に、「ジーザスが」大ヒットします。
その次、3作目は「エビータ」。これもヒット作ですね。
いまでも劇団四季が上演していますし、マドンナ主演で映画化もされました。
アルゼンチンの大統領夫人になった女性の物語ですが、若い頃酒場で働いていた貧しい女性が、国民から慕われる存在になっていく、というイメージは、聖書に出てくるマグダラのマリアを思わせます。
ジーザスでイエスの恋人として描かれた、あの女性です。
ここでは、映画版から二つの場面をご覧いただきます。
最初は、映画の冒頭、エビータのお葬式です。民衆がエビータの死を悲しんで、「サルヴェ・レジーナ」という聖歌を歌っています。
「サルヴェ・レジーナ」というのはカトリック教会で聖母マリアを讃えて歌われる歌です。
つまりここではエビータを聖母マリアになぞらえているのです。
視聴:「エビータ」より「サルヴェ・レジーナ」
次の場面は、夫ペロンが大統領に就任し、民衆の声にこたえてエビータが挨拶をするところです。彼女は自分の生い立ちを振り返りながら、民衆に「アルゼンチンよ泣かないで」と歌いかけます。感動的な歌ですが、実はこの歌のメロディーは、さっきのサルヴェレジーナと全く同じなんです。ここでも、ロイド=ウエッバーはエビータをマリアとして描いていることが分かります。
視聴:「エビータ」より「アルゼンチンよ泣かないで」
さて、エビータの5年後に、ロイド=ウエッバーはキャメロン・マッキントッシュというプロデューサーと組んで、とんでもない作品を生み出します。
それが「キャッツ」です。
イギリスの詩人T.S.エリオットが猫を擬人化して世の中を皮肉った詩集に音楽を付けたものです。
出てくるのはみんな猫、いろんな猫が次々に現れますが、原作の詩集には本来、一貫した物語性というのはあり
ません。
それが、世界的な大ヒット作となったのです。
まずはドキュメントをごらんください。
視聴:「キャッツ」解説
物語性のない、という分かりにくさを避けるために、ロイド=ウエッバーと台本のトレヴァー・ナンは、ひと工夫します。
バラバラに出てくる猫たちの中から、最後に1匹の猫が選ばれ、天国に行ける、という枠組みを作ったのです。
これによって、一見バラバラの猫の描写が、ひとつのコンテストにおける出場者たちのデモンストレーションのような位置付けをえることになります。
さらに、ロイド=ウエッバーたちは、エリオットの詩集にはいなかった猫を一匹付け足します。
それが娼婦ネコのグリザベラ。若い頃は社交界の花形だったけど、今はもう誰も彼女に近づこうとしない。
そのグリザベラが、最終的には選ばれた存在として、天国に上ることになります。
視聴:「キャッツ」より「メモリー」
グリザベラはエビータと同じようにマグダラのマリアを連想させますし、貧しく阻害されたものが神の恩寵をうけるという、とてもキリスト教的で分かりやすい物語性が、グリザベラという1匹の猫によって、この作品にもたらされたのです。
また、グリザベラが歌う「メモリー」という曲は世界中でヒットし、「キャッツ」というミュージカルに不動の地位を与えることになりました。最後の場面、長老ネコがグリザベラをいざなって高く昇っていくときの音楽は、まるでイギリス国教会の宗教音楽そのもので、ウエストミンスター寺院の中で響いていても不思議ではありません。
1998年にスタジオ収録された映像で最後の部分をご覧ください。
視聴:「キャッツ」より「最後の場面」
こんな風に、「キャッツ」までのロイド=ウエッバーの作品にははっきりとした宗教性が見られたのですが、その後の作品群では宗教性がほとんど感じられなくなります。そのあたりは、次回あらためてご覧いただくことにしたいと思います。
よろしくお願いします。