0 この授業をはじめたきっかけ
1 ルーツ:オペレッタとヴォードヴィル・ショー (1)
1 ルーツ:オペレッタとヴォードヴィル・ショー (2)
みなさんこんにちは。ポピュラー音楽研究Fの最初の授業です。
さて、この授業ではミュージカルの歴史を勉強します。
皆さんの中には、ミュージカル大好き、という人や、自分でも歌ったり踊ったりしてる、という人もいらっしゃると思いますが、ミュージカルのことあんまり知らないんだけど……という人もいらっしゃることでしょう。
大丈夫です。この授業を通じてたくさんの作品に触れていただきますので、半期の授業が終わるころには、みんなミュージカルが好きになり、知識も増えていることはまちがいありません。
世の中暗い雰囲気ですが、いろんなミュージカルから元気をいっぱいもらって、明るく前向きに過ごしていきましょう。
さて、今日は第1回ということで、前半は私がこの「ミュージカルの歴史」という授業を始めたきっかけをお話しし、後半はミュージカルのルーツとなったいろんなジャンルについてお話します。
この授業は10年くらい前から始めました。そのときの問題意識は、ミュージカルに未来はあるんだろうか、という、ちょっと悲観的な意識でした。
もちろん、ミュージカルは世界中で大人気です。今は残念ながらコロナ禍ですのであまり上演されていませんが、こうなる前は、アメリカのブロードウエイ、イギリスのウエストエンドをはじめ、ドイツでもフランスでも日本でも韓国でも、たくさんの劇場でミュージカルが上演されていました。
ただ、その華やかさの中に、私はちょっと、これで良いのか、という思いを抱いたのです。
この授業が「ポピュラー音楽研究」という枠の中に置かれていることからも分かるように、ミュージカルというジャンルは、いつもその時代その時代のポピュラー音楽を取り入れながら歩んできました。
ルーツのひとつはクラシックの流れをくむヨーロッパ系のポピュラー音楽でしたが、1920年代、ミュージカルが誕生したころにはガーシュインが当時新しかったジャズを取り入れ、ラテン音楽が流行るとバーンスタインはそれを取り入れました。1970年代にはロイドウエッバーのジーザスクライストスーパースターなど、ロックミュージカルが生まれます。
でもその後、1990年代頃になると、ポピュラー音楽はヒップホップやEDMなどどんどん新しい流行が出てくるのに、ミュージカルはその流れに乗ろうとしませんでした。当時、はやっていたのは、70年代や80年代のヒット曲を並べ、そこにストーリーをくっつけた、いわゆるジュークボックス・ミュージカルというやつで、音楽的には、どちらかといえば後ろ向きの姿勢をとってきました。それで良いのだろうか、ミュージカルは前に進むことをやめてしまうんだろうか。10年前、私はそう思ったのでした。
それで、この授業を通じてミュージカルの歴史をあらためて見直せば、私の疑問、「これで良いのか」という思いに答えが出せるのではないか、と思いました。何年続けてもすっきりしませんでしたが、実は5年ほど前に、私の悲観的な見方を変えてくれるかもしれない、と思うことがありました。ミュージカルの歴史が変わるかもしれない。
それが、《ハミルトン》という作品でした。このミュージカルはアメリカの独立を描いた時代劇なのですが、音楽は基本的にヒップホップ、つまりラップを使っています。ようやく今のポピュラー音楽と流れを同じくするミュージカルが現れたのです。このまま、ミュージカルの音楽はラップが主流になっていくのか、と思ったのですが、その後これに続く作品は出てきません。なんとなく後ろ向きに戻ってしまったような気がします。もちろん、作品としてよい作品は生まれています。でも音楽的に新しいかというと、どうでしょう。もちろん、新しくなくていい、質が高ければそれでいい、という考え方もできますが。
――ということで、ここでハミルトンの動画を見ていただきたいと思います。全般の映像はディズニープラスで配信されているのですが、残念ながらいつまでたっても日本語字幕がつきません(注:その後ディズニープラスでも字幕が付きました)。そこで、ここでは2016年のトニー賞授賞式からの抜粋をご覧いただきます。
視聴:《ハミルトン》2015
いかがでしたか?ラップはいいんですが、たとえば日本語に訳したときにうまくいくのか、正直ちょっと心 配になりますね。
さて、授業の後半、ミュージカルのルーツです。
ミュージカルは、先ほども少し触れたように1920年頃のアメリカで確立するのですが、そのルーツをたどると、大きく分けてヨーロッパ系とアメリカ系の二つに分かれます。
ヨーロッパ系の代表はオペレッタです。オペラよりずっと庶民的で、音楽も明るく陽気なものが多いです。 まず、オッフェンバックという作曲家の作品がパリで大流行し、それがウィーンにも伝わりました。
レハールの《メリー・ウイドウ》を見てみましょう。視聴:レハール《メリー・ウイドウ》1905
イギリスには、ほとんどオペレッタと同じようなものなんですが、サヴォイオペラと呼ばれるものがありました。ロンドンのサヴォイ劇場で上演されていたコミックオペラで、ギルバートという台本作家とサリヴァンという作曲家のコンビがたくさんのヒット作を生みました。
本日はその代表作、ミカドをご覧いただきます。その名から分かるように日本を舞台にしているのですが、当時のヨーロッパ人の日本に対する好奇心や誤解がそのまま表れています。
視聴:サリヴァン《ミカド》1885
さて、こうしたヨーロッパ系のルーツをそのままアメリカに持ち込み、ミュージカルの種をまいた人もいます。たとえばハンガリー生まれの作曲家ロンバーグは、ヨーロッパでオペレッタの作曲家として活動した後アメリカにわたって活躍しました。王子様が普通の女性と恋をする、学生王子という作品の中のセレナードは有名です。
視聴:ロンバーグ《学生王子》1924次はアメリカ系のルーツです。19世紀からアメリカで流行ったミンストレルショーというのがありました。 黒人のしぐさを白人が笑う、差別的な芸能です。白人が顔を黒く塗って黒人に扮してえいましたが、そのうち黒人自身が滑稽な黒人を演じるという変なことも起こりました。草競馬やスワニー川で有名な作曲家フォスターは、このミンストレルショーの音楽で有名になりました。
視聴:ミンストレル・ショーの解説
次にヴォードヴィル。もともとはフランスの喜劇でしたが、アメリカに伝わり、歌や踊り、コントや曲芸などが次々に入れ替わるヴァラエティーショーとして発展しました。
視聴:ヴォードヴィルの解説
そのヴォードヴィルを大掛かりな出し物としてまとめ上げて大人気を博したのがフローレンツ・ジーグフェルドというプロデューサーでした。フランスのフォリー・ベルジェールという舞台を参考にした彼の舞台はジーグフェルド・フォーリーズと題されていました。フォーリーズとは「ばかばかしいこと」といった意味で、ストーリーはないけれど、たくさんの美女たちと絢爛豪華な舞台装置で飾り立て、華やかな舞台の魅力で聴衆をとりこにしました。
視聴:ジーグフェルド・フォーリーズの解説
ここまで見ていただいたのは、私たちが「ミュージカル」という言葉から思い描くものの、 ルーツです。こういうものがいろいろ混ざったところから、ミュージカルは生まれることに なりますが、それは次回以降のお楽しみ、ということで、よろしくお願いします。